← 戻る シーサイドホテル美松大江亭

湯気に溶けた水平線と、少しだけ不器用な私たち

湯煙の向こう側、二つの温度

(Aの視点)
頬を打つ十月の夜風が、少しだけ鋭い。屋上露天風呂に身を沈めた瞬間、肌の表面で熱い湯と冷たい空気が激しくぶつかり合い、境界線が曖昧になる。立ち上る白い湯気がプリズムのように街の灯りを屈折させ、視界の端では別府湾の深い紺青が不規則に揺れていた。微かに漂う硫黄の香りが、日常の思考をゆっくりと洗い流していく。誰が何を話していたのか、正確には覚えていない。ただ、お湯の温度がちょうど良く、自分の輪郭が水に溶けていく感覚だけが心地よかった。私たちはここで、人生の正解のようなものを、静かに探していたのかもしれない。

(Bの視点)
「誰が一番長く浸かっていられるか」なんていう、どうでもいい賭けを始めた。四人で狭い湯船にひしめき合い、誰かが足をぶつけるたびに、水しぶきと共に大騒ぎが巻き起こる。正直、静寂なんて一秒もなかったと思う。でも、その騒がしさが、この旅で一番「私たちらしい」と感じた。あ、そういえば、誰かが格好つけて持ってきたガイドブックを湯船に落として、ページが海藻みたいにふやけていたのが最高に笑えた。結局、景色よりも、隣で口を大きく開けて笑っている友人の顔の方がずっと鮮明に記憶に残っている。あの時の絶望した顔、今思い出しても笑いが止まらない。

潮風の朝食、二つの味わい

(Aの視点)
朝食に添えられていた地元の魚の、あの絶妙な塩加減が忘れられない。舌の上でほどける身の質感と、後から追いかけてくる潮の香りが、窓の外に広がる別府湾の色彩とリンクしている気がした。箸を動かす小さな音と、遠くで聞こえる波のささやきだけが空間を埋めている。会話を止めても、気まずさはなかった。むしろ、同じ味を共有しているという事実だけで、十分なコミュニケーションになっていた。食後のコーヒーの深い苦味が、眠い目をゆっくりと覚醒させていく。あの静謐な時間が、何よりも贅沢に感じられた。

(Bの視点)
朝からみんなで「何食べる?」と言い合いながら、豪華なメニューに目を輝かせていた。誰がどの料理を一番多く食べたか、後で密かに集計していた気がする。レストランの黄金色の照明が、みんなの眠そうな顔を柔らかく照らしていて、なんだか不思議と安心した。炊きたての米の甘い香りと、賑やかな笑い声。おいしいものを食べて、「最高だね」と口を揃えて言う。そんな単純なことが、どうしてこんなに心を充足させるんだろう。結局、何を食べたかよりも、あの時の温かな空気感と、心地よい満腹感に包まれていた記憶の方がずっと強い。

静寂という名の唯一の合意

指先に触れる畳のざらつき。そして、シーサイドホテル美松大江亭の半露天風呂(温泉)付和室で、ベッドに体を沈めたときの深い沈み込みについて。私たちはあの日、誰からともなく「ここから一歩も動きたくない」と呟いた。外では秋の祭りの喧騒や、紅葉への期待感が渦巻いていたけれど、この部屋の静寂だけは、誰にも邪魔されたくなかった。

冷たいシーツの感触が、火照った肌を優しくなだめてくれる。部屋の隅で小さく鳴るエアコンの音と、遠くの廊下を歩く誰かの足音。それらが重なり合って、心地よいリズムを作っていた。孤独であることは寂しいことではなく、自分という臓器を丁寧にメンテナンスすることに近い。それを分かち合える友人が隣にいる。その構造こそが、この旅の正体だったのかもしれない。私たちはただ、そこに在ることを許し合っていた。

夜の海に、三日月が細い銀の線を描いていた。

  • 屋上露天風呂は、空気が冷え込む早朝か、星が見え始める深夜に訪れるのがおすすめ。
  • 別府湾の景色を眺めながら、あえて何も話さない時間を十分だけ作ってみてほしい。