← 戻る AMANE RESORT SEIKAI(潮騒の宿 晴海)

湯気に消えた、誰の言い訳だったか

湯気に消えた、誰の言い訳だったか

「誰がこのプランを立てたか」という不毛な議論

「打ったね。絶対誰か凍死するって賭けてたでしょ」
「うるさいな。地図を読み間違えたのは君だろ!」
「読み間違えてない。この路地が、画面の中では大通りだっただけ」
「それを世間では『迷子』って呼ぶんだよ、この天才」

一月の別府の街を、私たちは凍えながら歩いていた。頬を叩く風は鋭い針のようで、吐き出す息は白く濁る。誰が言い出したかも分からない初詣計画。誰かが誰かのセンスを酷評し、誰かがそれに全力で言い返す。それが私たちの旅の心地よいリズムだ。コンビニで買った、妙に酸っぱすぎる梅味の飴を口に放り込み、顔をしかめ合いながら、私たちはまた正解のない方向へ歩き出した。

静寂の体積と、42度の境界線

潮騒の宿 晴海 / AMANE RESORT SEIKAIに辿り着いたとき、まず意識を捉えたのは、靴を脱いだ瞬間の床の温度だった。ひんやりとした感触。けれどその冷たさが、外の暴力的な風から切り離されたことを教えてくれる。私たちが案内された「晴の棟」の客室は、百平方メートルという数字上の広さよりも、そこに漂う「静寂の体積」の方がずっと大きく感じられた。空間にはほのかに杉の香りが漂い、壁の向こう側では、波の音が低く、一定の周波数で鳴り続けている。潮騒。それは音というよりは、部屋全体を包み込む心地よい振動に近い。

客室の露天風呂に足を踏み入れると、そこには残酷なまでの温度差が待ち構えていた。肺に吸い込む空気は氷のように鋭く、肌を刺す。けれど、湯船に体を沈めた瞬間、四十二度の熱が皮膚の境界線を塗り替えていく。指先からじわりと血が戻ってくる感覚。それは、冬という季節に奪われていた自分の輪郭を、一つずつ丁寧に塗り直していく作業のようだった。目の前に広がるのは、一月の別府の海。青というよりは、深い灰色。空と海の境界が曖昧で、どこまでが水でどこからが空気なのか判別がつかない。そんな曖昧さが、今の私たちにはちょうどいい気がした。

浴衣の生地は少し厚手で、肌に触れる感触がざらついている。その不完全な心地よさが、かえって深い安心感をくれる。深夜三時、ふと目が覚めて廊下を歩く。裸足で踏むタイルの冷たさが、意識を強制的に覚醒させる。窓の外を眺めれば、街のあちこちから白い湯煙が幽霊のように立ち上がっていた。別府という街は、地面の下に巨大な熱量を隠し持っている。その熱が、冷たい冬の空気に触れて形を変えて昇っていく。私たちはその地球の呼吸に、ただ静かに寄生しているだけなのかもしれない。

湯煙に溶かす、夜の独白

「来年、自分がどうなってるか、全然分かんないな」
「分かる。っていうか、分かろうとすること自体に疲れるよね」
「……まあ、いいか。なんとかなるし」
「『なんとかなる』っていうのは、諦めたってこと?」
「違うよ。最適解を放棄して、心地いい方へ流れるってこと」

昼間の喧騒が嘘のように、夜の温泉は静まり返っていた。お湯に肩まで深く沈み、私たちは視線を合わせないままに言葉を交わした。昼間なら「もっとポジティブになれ」と突き放したであろう弱音も、この温度の中では、ただの事実として受け流せる。不安はある。怖さもある。けれど、その怖さはきっと、どこかへ向かうためのコンパスのようなものだ。答えを出すことよりも、今のこの温度を、誰と一緒に共有しているか。それだけが、唯一の確かな情報だった。

夜空に溶けていく白い湯煙が、ゆっくりと、私たちの輪郭をぼかしていく。

  • 別府地獄めぐりは、あえて早朝の空気が冷たい時間帯に回るのがおすすめ。
  • 潮騒の宿 晴海 / AMANE RESORT SEIKAIの露天風呂で、夜明け前の海の色が変わる瞬間を。