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子供の濡れた足跡が、廊下に点々と残っていた

子供の濡れた足跡が、廊下に点々と残っていた

黄金色の揺らぎと、古材が語る静かな時間

別府の街を包み込む湯けむりは、まるでゆっくりと流れる白いカーテンのように、視界を時折遮っては開く。MURE Beppuのロビーに足を踏み入れたとき、まず目に飛び込んできたのは、長い年月を経て深い色を湛えた古材の柱だった。その重厚な佇まいに、次男が「これ、昔の家なの?」と不思議そうに指先で触れている。その横で、私たちは黄金色に輝くお湯を静かに眺めていた。金運の湯という名に惹かれた子供たちは、その色がまるで溶けた金貨か、あるいは濃厚なリンゴジュースであるかのように見えたらしい。次男が思わず口を近づけようとしたとき、慌てて止めたけれど、その瞳には純粋な好奇心が溢れていた。水面には薄い膜のような表面張力があり、そこに子供の小さな指先が触れた瞬間、静止していた世界に波紋が広がり、黄金色の光が不規則に踊り出した。窓から差し込む柔らかな光が、その揺らぎをさらに強調する。完璧に計画された旅程よりも、こうした予期せぬ好奇心に身を任せることの方が、ずっと贅沢な時間の使い方かもしれない。そんな思いが、黄金色の光と共に心に溶け込んでいった。

水のハミングと、弾けるような子供たちの歓声

客室に備え付けられた温泉から流れる水の音は、低い周波数のハミングのように、部屋の隅々まで満たしていた。私たちが案内された「スタンダード和モダン 紅葉-MOMIJI-」の空間には、心地よい静寂が流れているはずだった。けれど、長女が「温度がちょうどいい!」と主張して一番に湯船に飛び込み、次男がそれに続いて「僕も!」と大騒ぎを始めた瞬間、静寂は心地よい喧騒へと塗り替えられた。子供たちの高い笑い声が、水面に弾ける泡のように絶え間なく響き渡る。けれど、不思議なことにその騒がしさが不快ではない。むしろ、源泉掛け流しの水が刻む一定のリズムが、家族の賑やかさを優しく包み込み、心地よいBGMに変えていた。ふとした瞬間に訪れる、子供たちが夢中で水遊びに没頭しているときの、あの奇妙な静寂。水が跳ねる音と、時折混じる小さなため息。その音の隙間に、私たちは自分たちが今、この場所に一緒にいるという確かな手触りを感じていた。誰かが何かを言う必要はなく、ただ水の音がすべてを調律してくれる。そんな感覚が、温かい湯気と共に胸のあたりに溜まっていくのがわかった。

記憶を呼び覚ます木のざらつきと、とろける湯の抱擁

裸足で踏みしめた廊下の床は、ひんやりとしていながらも、どこか懐かしい木の温もりを宿していた。古材の表面にある不規則な凹凸や、長い年月で磨かれた滑らかさが、足裏を通じて静かに情報を伝えてくる。子供たちが浴衣の裾をひらつかせながら走った後には、小さな濡れた足跡が点々と残っていた。その水滴が木の繊維にゆっくりと吸い込まれていく様子は、まるで乾いた大地が雨を飲み込む毛細管現象のようで、見ていて飽きなかった。その後、屋上貸切露天風呂に浸かると、5月の少し冷たい夜風が頬を撫で、一方で身体は芯から熱いお湯に抱きしめられる。お湯の密度が濃く、肌にまとわりつくような心地よい重みがある。指先から力が抜け、肩のラインが数センチ下がるのがわかった。長女が私の手を握り、「お湯がとろとろしてるね」と囁いたとき、その手のひらから伝わる温かさが、どんな言葉よりも深く心に浸透していった。冷たい空気と熱い湯のコントラストが、今この瞬間の生を鮮明に描き出していた。

もっちりとした甘みと、心をほどくお茶の温もり

足湯カフェで提供されたお団子は、もっちりとした弾力があり、口の中で心地よい抵抗感を生んでいた。甘いタレの粘性が舌に絡みつき、噛むたびに素材の素朴な風味が広がっていく。次男は口の周りをタレだらけにしながら、「これ、世界で一番おいしい!」と大げさに言い切った。その屈託のない様子を見て、私たちはただ静かに笑い合った。一緒に飲んだ温かいお茶は、口の中の甘さをさらりと洗い流し、喉を通る瞬間に心地よい熱を身体の中心まで届けてくれた。豪華なディナーではないけれど、足元を温めながら、家族で一つの皿を囲んで甘いものを分かち合う。その単純な行為が、旅の中で最も鮮明な記憶として刻まれていく。味覚というものは、単なる味ではなく、その時の温度や、隣に誰がいたかという記憶とセットで保存されるものだ。お団子の甘さと、子供たちの屈託のない笑顔。それらが混ざり合い、心の中に温かい澱のように溜まっていく。その充足感こそが、旅の本当の目的だったのかもしれない。

深い杉の香りと、雨上がりの風が運ぶ新緑の記憶

MURE Beppuの空間に漂っているのは、深く、静かな杉の香りだった。それは古い図書館のページをめくったときのような、あるいは深い森の奥深くで呼吸をしたときのような、落ち着いた匂い。その香りが空気の粒子に乗って、ゆっくりと肺の奥まで入り込んでくる。5月の雨上がりの午後、屋上テラスに出ると、湿った土の匂いと、若葉が放つ鮮やかな新緑の香りが混ざり合って風に乗っていた。その匂いは、目に見えないけれど確かな質量を持っていて、私たちの意識をゆっくりと「今」という瞬間に繋ぎ止めてくれる。子供たちが「森の匂いがする!」とはしゃいで走り回る横で、私はただ深く息を吸い込んだ。嗅覚は記憶に直結しているというけれど、数年後、ふとした瞬間にこの杉と新緑が混ざった匂いを嗅いだとき、私はきっとこの日の、少しだけ騒がしくて、けれど限りなく穏やかだった家族の時間を思い出すだろう。それは、言葉にできないけれど、決して消えない記憶の断片となって、私の中で生き続けるはずだ。

濡れた足跡が乾く頃、私たちはまた新しい旅の準備を始めていた。

  • 別府駅からの徒歩11分の道のりは、街の湯けむりを観察しながらゆっくりと歩くのがおすすめ。
  • 屋上の貸切露天風呂では、5月の夜風を感じながら、家族だけの静かな時間を過ごしてほしい。