ぺたぺた、と濡れたサンダルが廊下の床に張り付く音が聞こえる。それはまるで、うまくはまらないパズルのピースを無理やり押し込もうとしている時の、もどかしいリズムに似ているかもしれない。大正ロマンを纏ったラビスタ函館ベイの重厚な扉や、光を吸い込む深い色の木材は、子供たちが上げる高い声や、走り回る足音を静かに受け止めてくれる。そういう場所があることは、親にとって密かな救いになるという気がする。
喧騒を脱ぎ捨て、家族という「器」に浸るために、ここを選んだのはなぜか
八月の函館は、潮風に混じってどこか遠くの祭りの匂いが漂っている。上の子が「花火が見たい」と騒ぎ出し、下の子がそれに合わせて泣き出したとき、私たちはただ、全員が心地よく呼吸できる「器」のような場所を求めていた。ラビスタ函館ベイに足を踏み入れた瞬間、肌に触れたのはひんやりとした冷気と、どこか懐かしいクラシカルな静寂だった。磨き上げられた真鍮の光沢や、深い飴色の木材が放つ落ち着いた香りが、旅の緊張をゆっくりと解きほぐしていく。
ここは、無理に「静かにしなさい」と言わなくていい空間だと思う。厚手のカーペットが子供たちの奔放な足音を優しく飲み込み、高い天井が溜息を心地よく分散させてくれる。大人のための優雅な空間に見えて、実は子供たちの好奇心さえも包み込む懐の深さがある。私たちはここで、家族という名の小さなチームとして、どうやってこの街を攻略するかを密かに話し合った。「完璧なスケジュールなんて、最初からなくていいよね」――そう心の中で呟き、重い遮光カーテンを閉めて外の喧騒を遮断した瞬間に感じた安堵感だけは、本物だった。
子供の瞳に映ったのは、夜空にこぼれた宝石箱のような景色だったか
十三階にある露天風呂へ向かうエレベーターの中で、下の子が「お空のお風呂に行くの?」と上目遣いで聞いてきた。裸足で踏んだタイルのひんやりとした温度が心地よく、湯気の中に溶け込んでいく感覚は、まるで大きな温かい毛布に包まれているみたいだ。大人は「百万ドルの夜景」という定型句を使いがちだけれど、子供の目には、眼下に広がる街の灯りは、誰かがうっかりこぼしてしまった金色の宝石箱のように見えていたのかもしれない。
湯船に浸かりながら、上の子が「見て!あそこの光が点滅してる!」と興奮気味に指を差す。その指先の小さな震えや、お湯をパシャパシャと跳ね上げる無邪気な音。大人は景色を「鑑賞」するけれど、子供は景色と「遊ぶ」。そんな当たり前の違いに気づいたとき、自分の視点がいかに固定されていたかを思い知らされる。ふと、下の子が自分の浴衣をマントのように羽織って、廊下をヒーローのように駆け抜けていった。サイズが大きすぎて裾を踏み、派手に転んだけれど、本人はそれが面白いらしく、声を上げて笑っていた。その笑い声が、ホテルの静かな廊下に心地よく反響し、私たちの心に温かい波紋を広げていたのを覚えている。
旅の終わりに、心に深く刻まれているのはどんな記憶か
朝七時。まだ頭がぼんやりしている時に訪れる朝食ビュッフェは、この旅で最も「戦い」に近い時間だった。片手で子供の皿を持ち、もう片手で地元の新鮮な海産物を盛り付ける。焼きたての魚の香ばしい匂いと、あちこちから聞こえる食器の触れ合う軽やかな音。上の子が「これ、何のお魚?」と不思議そうに聞き、下の子がパンケーキに大量のシロップをかけようとして、テーブルにべたっとこぼす。そんな小さな混乱の中で、私たちは不思議と笑い合っていた。
豪華な食事の内容よりも、記憶に焼き付いているのは、子供たちが目を輝かせて未知の味に挑戦していた横顔や、シロップで汚れたテーブルを一緒に拭いた、あの何気ない時間だ。ラビスタ函館ベイという場所が、単なる宿泊施設ではなく、家族がそれぞれのペースで「旅」を消化するための緩衝地帯になってくれていた。チェックアウトの時、子供の手を引いてロビーを出ると、外の空気は少しだけ湿っていたけれど、心の中には、整理しきれないけれど温かい、ある種の充足感が残っていた。それは、計画通りにいかなかったことこそが、この旅の正解だったという確信に近い感覚だった。
濡れたサンダルの音を連れて、私たちはまた、日常という名の不器用なパズルに戻っていく。
- 十三階の露天風呂では、あえて時間をずらして、子供と一緒に夜の街の灯りを「宝石探し」のように眺めてみてほしい。
- 朝食ビュッフェでは、地元の海産物を子供に一口だけ味見させて、その不思議な反応を観察するのがおすすめだ。