← 戻る シャトレーゼホテル 石和

溶けかけのアイスと、誰のせいか分からない笑い声

溶けかけのアイスと、誰のせいか分からない笑い声

直感という名の迷路

「ねえ、絶対こっちじゃないよね? むしろ逆方向に進んでる気がするんだけど」

誰かが口にした疑問に、先頭を歩いていた友人が振り返らずに、自信満々に答える。
「大丈夫。私の直感が『こっちだ』って言ってるから。信じてよ」

「その直感のせいで、さっきコンビニの駐車場で十五分も迷ったじゃん。誇張抜きで、今の私たち、迷子っていうよりはただの散歩集団だよ」

「いいじゃん、これも旅の醍醐味だって!」

十月の冷たい風が、薄い上着の隙間から入り込んで肌を刺す。アスファルトを叩くスニーカーの乾いた音が、リズムを乱しながら重なり合う。私たちは互いの不手際を笑い飛ばしながら、わざと遠回りをしているような、そんな心地よい錯覚の中にいた。

甘い香りと、静寂の境界線

ロビーに足を踏み入れた瞬間、空気の密度が心地よく変わった。そこにあるのは、焼きたてのバウムクーヘンが放つ、バターと砂糖の濃厚なテクスチャ。鼻腔をくすぐるその甘さは、旅の緊張感をふわりと解いていく。案内されたのは、シャトレーゼホテル 石和の「露天風呂付特別和洋室」。ベッドのシーツのパリッとした冷たさと、畳のい草が持つ、どこか懐かしい湿り気。その二つの異なる温度が、一つの空間に共存している。

窓の外には、南アルプス連峰が、まるで誰かが丁寧に切り抜いた厚紙のように、淡いブルーの空に突き刺さっていた。十月の午後の光は弱く、けれど鋭い。その光が部屋の隅々にまで届き、影の輪郭をはっきりと描き出している。私たちは、あえて誰もしゃべらずに、ただその景色を眺めていた。グループの中にある、目に見えない気圧のようなものが、ゆっくりと下降していくのがわかる。誰かが誰かに合わせる必要のない、心地よい沈黙。それは孤独とは違う、自立した個々が同じ空間を共有しているという、静かな充足感だった。

ウェルカムスイーツのケーキを口に運ぶ。フォークが生地に沈み込むときのわずかな抵抗感。舌の上で溶けるクリームの滑らかさと、後からやってくる控えめな酸味。浴衣に着替えたときの、帯で締め付けられる腰の感覚や、廊下を歩くスリッパの小さな摩擦音。それらすべてが、この場所でしか鳴らない音として、私の耳に届いていた。

真夜中のバニラと、本音の温度

「……っていうか、正直に言っていい? 今の仕事、本当は全然向いてない気がするんだよね」

深夜二時。部屋の照明を落とし、間接照明のオレンジ色の光だけが、畳の上にぼんやりとした円を描いている。私たちの手には、ロビーで自由に選んだアイスクリーム。冷たい金属のスプーンが、カップの底をカリカリと引っ掻く音が、静まり返った部屋に小さく響く。

「いいんじゃない? 向いてないって気づくのは、ある意味で才能だよ」

「そういう適当な肯定が、君のいいところであり、最悪なところだよね」

昼間の賑やかな言い争いはどこへ行ったのか。冷たいバニラアイスが舌の上で溶けていく速度に合わせて、言葉の温度が少しずつ下がっていく。あるいは、より純粋な温度に近づいていく。誰かが読みかけの本を閉じ、深く溜息をつく。その溜息が、夜の空気に溶けて消えていく。私たちは、答えを出すためではなく、ただ「わからない」という状態を共有するために、ここにいる。もしかしたら、人生において最も贅沢な時間は、解決策が見つからないまま、誰かと一緒に夜を明かすことなのかもしれない。冷たすぎるアイスで頭がキーンとしたとき、誰かが小さく吹き出した。その不意に訪れた笑い声が、張り詰めていた夜の空気を、心地よく震わせた。

南アルプスの稜線が、夜明け前の深い紺色に溶け込んでいた。

  • シャトレーゼホテル 石和の深夜アイスを、友人との「本音の時間」の供に。
  • 石和温泉駅からの徒歩七分を、あえて地図を見ずに迷いながら楽しんでほしい。