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浴衣の裾が、少しだけ濡れていた

氷のような冷気が、猛暑で火照った肌を鋭く撫で、一瞬だけ鳥肌が立った。誰が一番先に迷子になるか賭けていたけれど、結局は全員で同じ方向へ吸い寄せられていく。大江戸温泉物語Premium 伊東ホテルニュー岡部へ足を踏み入れた瞬間、鼻腔をくすぐったのは、わずかに混ざり合った硫黄の香りと、どこからか聞こえてくる弾んだ笑い声。その賑やかさが、今の私たちにはちょうどいい温度だった。



バイキング会場は、心地よい喧騒に包まれた戦場だった。皿がぶつかり合うカチャカチャという金属音が、祭りのリズムのように耳に届く。地元の鮮魚が並ぶコーナーでは、誰が一番高く盛り付けられるかという、くだらない競争が始まっていた。口の中でとろける刺身の冷たさと、隣で激しく湯気を上げる料理の熱さ。その鮮やかな温度差が、舌の上で激しく入れ替わる。特に、地元の夏野菜を使った料理の、土の香りが残る濃厚な甘みが、喉の奥にゆっくりと広がっていく感覚がたまらなく心地よかった。


「ねえ、それ本当に浴衣? 巻き寿司みたいになってない?」
誰かが吹き出した。帯の結び方を間違えて、不格好に盛り上がった腰回りを指して。私たちは互いの格好を遠慮なく笑い合いながら、鏡の前でもがいた。完璧に着こなそうとすればするほど、誰かが裾を引っ張り、誰かが襟を崩す。けれど、その不恰好さが、かえって私たちを自由にした気がする。正解の着方なんて、この旅には必要なかったのだ。


卓球台を挟んで、ふっと静寂が訪れた。ピンポン玉がテーブルを叩く、乾いた「カツッ」という鋭い音。その音だけが、広い空間に心地よく響き渡る。勝ち負けなんてどうでもよくて、ただ球を打ち返すという単純な動作に、子供のように没頭していた。誰かが凡ミスをして、全員で同時に吹き出した瞬間、張り詰めていた空気がふっと軽くなる。そういう、意味のない時間にこそ、旅の正解が隠れている気がした。


温泉に体を沈めたとき、肌の境界線がゆっくりと消えていく感覚があった。40度を少し超えたくらいの、絶妙な温度。肩まで深く浸かると、昼間の喧騒が遠い記憶のように薄れていく。湿気を吸ってわずかに膨らんだ木の香りが、心地よく鼻をくすぐった。目を閉じれば、聞こえるのは遠くで流れる水の音だけ。孤独ではないけれど、一人になれる。そんな贅沢な空白が、そこにはあった。


深夜3時。和洋室の畳の上に寝転がって、ぼんやりと天井を見上げていた。裸足で踏んだ床の、ひんやりとした感触が心地いい。隣では誰かが小さく、規則正しい寝息を立てている。昼間の賑やかさが嘘のように、部屋の中には濃い静寂が満ちていた。壁の向こうから聞こえるかすかな足音。この広すぎる空間に、私たちだけが取り残されたような、心地よい心細さが胸のあたりに溜まっていた。


七夕の短冊に、誰が一番くだらない願い事を書くか競い合った。結局、みんな「明日も美味しいものが食べられますように」とか、そんな些細なことを書いていた。夜風に揺れる色とりどりの紙たちが、サササと小さな音を立てる。それを見上げながら、私たちは言葉を失った。特別な何かを願うよりも、今のこの、どうしようもなく適当な時間が永遠に続いてほしいと、心のどこかで願っていた。


夜空に大きな花火が弾けた瞬間、鼓膜ではなく、胸の奥に直接振動が届いた。浴衣の裾が、夜露か何かで少しだけ湿っていたけれど、それがかえって肌に心地よかった。隣にいる友人の肩が、わずかに触れている。言葉にしなくても、今この瞬間を共有しているという事実が、確かな重みを持ってそこにあった。消えていく光の残像を追いながら、私たちはただ、ゆっくりと呼吸をしていた。

足元に転がった、片方だけの下駄。

  • バイキングでは、迷わず地元の旬の魚を山盛りにして。お腹いっぱいになるまで楽しんでほしい。
  • 浴衣に着替えて、あえて不器用なまま街を歩いてみて。その方がきっと、面白い写真が撮れるから。