駅のホームにある金属製の手すりが、指先に張り付くほど冷たかった。11月の台中。湿度が低くなり、空気がどこか乾いた古い紙のような質感を持っている。私たちは、誰が一番先に道に迷うかに、密かに賭けていた。リーダーを自称するAが、自信満々にスマートフォンを掲げている。けれど、その画面の中の地図は、私たちの歩く速度に追いつけず、青い点が激しく右に左に揺れていた。隣でBが「ねえ、ここさっきも通らなかった?」と呟く。その声には、確信よりも、相手を揺さぶりたいという意地悪な好奇心が混じっていた。私たちは、あえて正解を選ばない。効率的に目的地に着くことなんて、誰にでもできる。そんな退屈な旅に、価値なんてない。重いスーツケースがガタガタと不規則な音を立てて、舗装の粗い路面を叩く。そのリズムが、まるで私たちの不完全な計画を笑っているみたいだった。結局、最初に「ここ、どこ?」と白旗を上げたのは、あんなに自信たっぷりだったAだった。私たちはそれを、盛大に笑った。それがこの旅の、正しい始まり方だったと思う。
路地裏の芳香と、赤い谷の静寂
ふと漂ってきたのは、揚げたてのエシャロットと、濃い醤油が混ざり合った、鼻の奥をくすぐるような芳醇な香りだった。誘われるままに足を踏み入れたのは、「阿棋三代の福州意麺」。店内の空気は、長年蓄積された油と白い湯気で、少しだけ重たい。けれど、その重さが不思議と心地いい。運ばれてきた意麺を口に運ぶ。弾力のある麺が歯を押し返し、その後に追いかけてくる肉燥の塩気が、旅の疲れで鈍っていた舌に鋭く突き刺さる。美味しい。なんて単純な感想だろう。でも、その単純さが、今の私たちには一番必要だった。その後、私たちは秋紅谷へと向かった。都市の真ん中に、ぽっかりと空いた赤い穴のような場所。11月の陽光が、紅葉した葉の一枚一枚を透過して、地面に複雑なレースのような影を落としていた。ガラスのプラットフォームに立つと、足元から街の喧騒が遠ざかり、代わりに冷ややかな風の音だけが耳に残る。誰かが「ここ、写真映えしすぎじゃない?」と、いつもの口調でぼやいた。私たちは、お互いの写真の写りの悪さを競い合いながら、ゆっくりと歩いた。目的地に辿り着くことよりも、その途中で出会った、名もなき路地の静けさや、誰が注文したのか分からない変な味の飲み物の方が、ずっと記憶に深く刻まれる。正解のルートを外れた瞬間にだけ、旅は本当の意味で動き出すのだ。
八階の聖域、あるいは心地よい逃避行
斑鳩巢行旅に辿り着いたとき、私たちは心地よい疲労感で、思考が半分くらい溶けていた。エレベーターに乗り込み、ボタンを押す。上昇に伴って、耳の奥で小さな圧力が変わり、外界から切り離されていく感覚に陥る。8階。その数字が意味するのは、地上から切り離された、小さな独立国家のような空間だ。ドアが開いた瞬間、廊下の深い静寂が私たちを包み込む。部屋に入った瞬間、誰が一番にベッドに飛び込むかという、幼稚で激しい争いが始まった。結局、一番早かったBが、白いシーツの上に大の字になる。指先で触れたリネンの質感は、パリッと張り詰めていて、それでいて肌に吸い付くような冷たさがあった。エアコンの風が、火照った頬を優しく撫でていく。部屋の隅にあるコーヒーメーカーから、かすかに焙煎された豆の香りが漂ってきた。私たちは、誰がどのベッドを使うか、あるいは誰がリビングのソファを占領するかについて、真剣に、そしてくだらなく議論した。豪華な設備があるとかないとか、そんなことはどうでもいい。ただ、この四方の壁に囲まれた「巣」のような空間で、お互いの愚痴を言い合いながら、泥のように眠れることが、今の私たちにとって最大の贅沢だった。窓の外に広がる台中の夜景を眺めながら、私たちは明日もまた、きっと迷子になろうと決めた。それこそが、私たちがこの街に求めていた唯一の正解だったから。
夜の静寂に、誰かの小さないびきが心地よく混ざり始めた。
- 台中駅からの移動は、あえてタクシーを使わず、路地裏の匂いを嗅ぎながら歩くのがおすすめ。
- 秋紅谷へ行くなら、光が斜めに差し込む午後4時頃。影の形が一番美しく、写真も情緒的になる。