← 戻る グランヴィリオホテル別府湾 和蔵

焼いたパプリカの匂いと、大きすぎる浴衣

焼いたパプリカの匂いと、大きすぎる浴衣

凍てつく風と、琥珀色の喧騒

1月の別府湾を吹き抜ける風は、皮膚の薄いところを鋭く刺す。車のドアを開けた瞬間に流れ込んできた冷気に、上の子が「寒い!」と短く悲鳴を上げ、下の子はただ呆然と、鉛色の海を眺めていた。グランヴィリオホテル別府湾 和蔵のロビーに足を踏み入れたとき、まず耳に飛び込んできたのは、硬い床を叩くスーツケースのキャスターの乾いた音と、子供たちの興奮が混じり合った、心地よい不協和音だった。温かな琥珀色の照明と、かすかに漂うお香のような静謐な香りが、外の刺すような寒さを一瞬で忘れさせてくれる。チェックインの手続きを待つ間、下の子が私のコートの裾をぎゅっと引っ張り、上の子はロビーの隅にある和の装飾に目を輝かせて走り出す。「ダメだよ」と追いかけ、謝り、また呼び戻す。そんな光景を眺めていると、このホテルという大きな器が、私たちの持ち込んだ騒々しさを、静かに、けれど確実に飲み込んでいくような気がした。整然とした空間に、家族という名の「乱雑さ」が溶け込んでいく。それは、旅の始まりを告げる、どこか安心する感覚だった。

秘密基地の発見と、五感を揺さぶる時間

フォレストルームのドアを開けたとき、子供たちの視線はすぐに二段ベッドへと吸い寄せられた。大人は部屋の広さや清潔さを確認するけれど、子供たちは「誰が上に登るか」という、人生における重大な交渉を始める。上の子が梯子を登り、上の段から「ここからだと世界が違って見える!」と宣言したとき、私はふと、彼らにとってこの部屋が単なる宿泊施設ではなく、一夜限りの秘密基地になったのだと感じた。木の温もりが残る壁に触れ、外の森の気配を感じながら、彼らは自分たちだけの領土を広げていく。

その後、彼らを連れて向かった展望大浴場。湯上がり後の廊下で、下の子が自分よりもずっと大きな浴衣に包まれ、まるで白い布団が歩いているかのような姿でふらふらと歩いていた。その滑稽で愛らしい姿に、同行していた家族全員が同時に吹き出した。そんな小さな笑いが、旅の緊張をふわりと解いていく。湯上がりに無料で提供される乳酸菌飲料の、あの冷たくて甘い感覚。ボトルに付いた水滴が指先に触れるたび、冬の寒さと温泉の熱さが心地よく交差していた。

食事の時間、シーサイドダイニングでライブキッチンから漂う香ばしい匂いは、空腹を刺激する強力な合図だった。天ぷらが揚がるパチパチという軽快な音、鉄板の上で食材が焼ける激しい音。下の子は、目の前で料理が出来上がる様子に釘付けになり、上の子は、自分の皿に何をどれだけ盛るかという戦略に没頭していた。特に、朝食のテーブルに用意されていた小さなグリルで、自分たちで野菜を焼く時間は、彼らにとって最高のイベントだった。少し焦げたパプリカの甘い香りと、じゅわっと溢れる水分。特別な料理ではないけれど、自分たちの手で火を通したという実感が、食事をより鮮やかな記憶に変えていく。

凪いだ心と、夜の海の静寂

子供たちが深い眠りに落ちた後の部屋は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返る。聞こえてくるのは、規則正しい小さな寝息と、遠くで鳴っているかもしれない波の音だけ。私は一人、窓際に立ち、夜の別府湾を眺めていた。暗闇に溶け込んだ海と、点在する街の灯り。その境界線が曖昧で、自分が今どこにいるのかという感覚が心地よくぼやけていく。浴衣の生地が肌に触れる、さらりとした、けれどどこか重みのある質感。大浴場での熱い湯に浸かり、芯まで温まった体で、冷たい夜気を感じる。この温度差こそが、生きてここにいるという実感を与えてくれる気がした。

上の子が寝返りを打ち、布団が擦れる音がした。その小さな音さえも、今の私には大切な情報として届く。「ああ、みんな無事に眠っている」。誰かのために時間を使う日常から離れ、ただ「誰かが隣で眠っている」という事実に身を委ねる。孤独ではないけれど、一人である時間。この矛盾した静寂こそが、親という役割を一度だけ脱ぎ捨てさせてくれる、贅沢な空白だった。海がすべてを包み込むように、私の心の中のざわつきも、ゆっくりと凪いでいった。

ほどけない結び目を持って、日常へ

チェックアウトの時間が近づくと、下の子が私の足にしがみつき、「まだいたくない」と小さく呟いた。その手のひらの温もりが、この場所で過ごした時間の集積のように感じられた。荷物をまとめ、再びあの冷たい1月の風の中に踏み出す。けれど、車に乗り込み、ヒーターがゆっくりと車内を温め始めたとき、私たちは誰も急いで出発しようとはしなかった。完璧なスケジュール通りに進んだ旅ではなかったし、子供たちが静かに過ごしてくれた時間などほとんどなかった。けれど、あの大きすぎる浴衣で転びそうになった笑い声や、一緒に焼いたパプリカの匂いは、きっと日常に戻っても、ふとした瞬間に思い出されるはずだ。グランヴィリオホテル別府湾 和蔵という器に詰め込まれた、不格好で、けれど温かい記憶。私たちはそれを大切に抱えたまま、ゆっくりと日常という名の喧騒へと戻っていった。

  • 湯上がり後の無料ドリンクコーナーでは、あえて種類を決めずに、その時の気分で選ぶ贅沢を楽しんでほしい。子供たちの「どっちがいい?」という迷う時間さえも、旅の彩りになるから。
  • 朝食のミニグリルでは、野菜を焼きすぎないこと。少しだけ色が変わり、甘みが凝縮された瞬間のパプリカやズッキーニが、一番美味しい記憶として心に残るはずだ。