← 戻る 別府温泉 杉乃井ホテル

湿ったタオルの匂いと、小さな手のひら

湿ったタオルの匂いと、小さな手のひら

なぜ、この場所へ家族を連れてきたのか

窓ガラスに触れると、指先に張り付くような冷たさがあった。外は2月の別府。空気が鋭く、吐く息が白く濁る季節だ。でも、別府温泉 杉乃井ホテルの「宙館」の部屋に足を踏み入れた瞬間、その冷たさは遠い記憶になる。上の子が「絶対、青い部屋がいい」と譲らなかったので、私たちは「青海」の部屋にいた。深いブルーの色調が重なる空間は、まるで深い海の底に沈み込んだような、あるいは静かな夜の底に潜ったような感覚をくれる。足元のカーペットは驚くほど厚く、子供たちが走り回ってもその足音を静かに飲み込んでしまう。その静寂が、親としての緊張を少しだけ緩めてくれる気がした。

もともとは、もっと優雅で静かな家族旅行を想像していた。けれど、実際には荷物を広げた瞬間に靴下が片方消え、誰がどこのタオルを使うかで小さな議論が始まる。そんな混乱さえも、この海抜250メートルという高さにある心地よい密室の中では、心地よい生活音のように聞こえてくる。私たちは何かを解決しに来たのではなく、ただこの心地よいブルーに包まれて、お互いの輪郭をぼかしたかったのかもしれない。空に近い場所で、地面のしがらみを忘れるのではなく、むしろ家族という小さな共同体の、不器用な体温を再確認したくなったのだと思う。


子供たちが一番心を奪われたものは何だったか

藁焼きの香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐる。和ダイニング「星」に入ったとき、まず感じたのはその圧倒的な天井の高さだった。6メートルもある空間に、古民家の古材が組み込まれていて、どこかお祭りの夜のような高揚感が漂っている。下の子が「ここ、お城みたい!」と声を上げた。目の前で握られる寿司や、丁寧に焼かれる魚。子供たちの目は、料理よりも、職人の指先の動きに釘付けになっていた。彼らにとって、食事は単なる栄養摂取ではなく、未知の儀式を観察する時間だったのかもしれない。

その後に向かったアクアガーデンでは、さらに賑やかな時間が流れていた。噴水ショーが始まると、水しぶきが光を反射して、空中にいくつもの虹を描き出す。下の子が、その水を口でキャッチしようとして、思い切り顔面に水しぶきを浴びた。一瞬、泣き出しそうな顔をしたけれど、すぐに「もう一回!」と笑い出した。その屈託のない笑い声が、冬の冷たい空気を震わせる。大人はつい「服が濡れるから」とブレーキをかけてしまうけれど、ここではそのブレーキを外してもいいのだと、自分に許可を出せた気がする。

私たちは、子供に「正しい旅の作法」を教えようとしていたのかもしれない。けれど、実際には彼らが教えてくれていた。水しぶきを浴びることの快感や、高い天井を見上げて口を開けて驚くことの純粋さを。完璧なスケジュール表よりも、不意に訪れた「水浸しの顔」という出来事の方が、ずっと鮮明に記憶に刻まれる。そんな、計画外の空白こそが、旅の本当の正体なのだろう。


旅を終えて、心に何が残るのだろうか

「宙湯」の湯船に身を沈めたとき、肌を刺すような冬の風と、身体を包む熱い湯の境界線が、曖昧に溶けていくのを感じた。目の前に広がる別府の街並みが、湯気の向こう側でぼんやりと霞んでいる。それは、まるで世界が一枚の淡い水彩画になったかのようだった。隣で、子供たちが誰が一番長く潜っていられるかを競い合っている。彼らの笑い声が、湯気に混ざって空へ昇っていく。その光景を眺めながら、ふと思った。孤独というのは、取り除くべき問題ではなく、もともと誰もが持っている身体の一部のようなものだ。そして、家族と一緒にいる時間とは、その孤独を消し去ることではなく、お互いの孤独を隣に並べて、そっと温め合うことなのだと。

お風呂から上がり、もこもこの浴衣に身を包んで廊下を歩く。足元から伝わるタイルの温度や、かすかに漂う硫黄の香り。それらすべてが、心地よい重みとなって身体に馴染んでいく。私たちは、何か特別な答えを見つけたわけではない。ただ、2月の別府で、湯気に巻かれながら、一緒に笑い、一緒に濡れ、一緒に眠った。その単純な事実だけが、明日からの日常を支える静かな周波数になる気がする。記憶の中にあるのは、豪華な設備ではなく、湯上がりに子供が私の指をぎゅっと握ったときの、あの小さくて温かい手のひらの感触だけだ。


湯上がりに深く眠った子供の、規則正しい寝息と、かすかに残る石鹸の香り。
  • 宙館の「青海」や「森林」など、子供の好みに合わせたテーマカラーの部屋を選んでみると、チェックインの瞬間から会話が弾みます。
  • 和ダイニング「星」では、目の前で仕上げられる料理をじっくり観察させてあげてください。食への好奇心が自然に広がります。