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小さな手が、私の指をぎゅっと握った温度

小さな手が、私の指をぎゅっと握った温度

湿ったウールのコートが纏う重たい匂いと、鼻の奥をツンとさせる冬の冷気。下呂駅に降り立ったとき、まず肌を刺したのは、張り詰めた空気の鋭さだった。子供たちの頬は林檎のように赤く、寒さのあまり口数が少なくなっている。けれど、下呂温泉望川館のロビーに足を踏み入れた瞬間、外の世界の静寂は、心地よい温もりに満ちた喧騒へと塗り替えられた。

そもそも、どうして家族でここに来たのだろうか?

足の裏から伝わるタイルのひんやりとした質感が、心地よく意識を覚醒させる。スペインから運ばれたというそのタイルは、長い年月を経て角がわずかに丸くなり、訪れる人々を優しく受け入れてきたのだろう。子供たちが走り回ると、靴の底がキュッキュと鳴り、それが古い建築が持つ静謐な空気に、小さな波紋のように広がっていく。1,100坪という広大な日本庭園を眺めながら、私はふと思った。こんなに歴史の積層を感じさせる場所で、子供たちが騒ぐことは、本来なら「申し訳ない」と感じるべきことなのかもしれない。けれど、ここは不思議と、その賑やかさを拒まない。むしろ、1818年から積み重ねられてきた時間の厚みが、今の私たちの不器用な旅の形を、そっと包み込んでくれているような気がした。「静かにしなさい」と口にする代わりに、私は子供の手を握り、その温もりを確かめる。完璧な静寂よりも、誰かの笑い声が混じった空間の方が、ずっと深く呼吸ができる。家族で旅をすることの正解は、きっと「予定通りにいくこと」ではなく、「予定外の騒がしさを許し合える場所を見つけること」にあるのだと、この場所が教えてくれた。

子供たちが一番心を奪われたのは、どの瞬間だったか。

お風呂に浸かった瞬間、子供が「お湯がぬるぬるしてる!」と歓声を上げた。pH8.9という強いアルカリ性の湯は、肌に触れた瞬間、まるで薄いシルクの膜が全身を包み込んだような不思議な質感がある。カエルちゃんやアヒルちゃんの玩具が、白いタイルに当たってカチカチと軽い音を立て、湯気の中で踊っている。子供にとっての発見は、大人が思うよりもずっと速く、そして唐突にやってくる。「このお湯は美肌効果があるんだよ」と私が説明しようとしたときには、彼らの意識はもう次の好奇心へと飛び去っていた。問いかけから答えが返ってくるまでの、あの心地よいラグ。子供の思考の速度に大人が必死に追いつこうとする時間は、どこか滑稽で、けれどたまらなく愛おしい。その後、彼らが夢中になったのは「まんが横丁」だった。静かにページをめくる乾いた音と、時折漏れるクスクスという笑い声。デジタルな画面ではなく、古い紙の匂いとインクの質感に触れているとき、子供たちの瞳は、普段ゲームをしているときよりもずっと深く、何かを凝視していた。あの子たちは、物語という名の迷宮の中で、自分だけの居場所を探していたのかもしれない。露天風呂付客室 川の寮四季彩で過ごした夜、川のせせらぎを子守唄に眠りについた彼らの顔には、深い充足感が滲んでいた。

帰路につくとき、心に何が残っているだろうか。

夕食に運ばれてきた朴葉味噌の、じゅわっという小気味よい音。葉っぱの上で味噌が焼ける香ばしい匂いが、部屋いっぱいに広がったとき、家族全員の視線が自然と一つに結ばれた。飛騨牛の脂が溶け出し、白いご飯と一緒に口に運ぶ。味覚というものは、記憶に最も深く刻まれるアンカーになる。1月の飛騨川は、鈍色の空を鏡のように映して静かに流れていた。色浴衣に身を包み、少しぶかぶかの袖を揺らしながら歩く子供の後ろ姿を見て、ふと、この旅の不完全さが心地よかったことに気づく。上の子は浴衣の帯をほどこうとし、下の子は廊下で浴衣をマントのようにして走り回っていた。けれど、そんな乱雑な瞬間こそが、後で思い出したときに一番笑える記憶になる。高級な設備や完璧なサービスよりも、裸足で踏んだタイルの温度や、お湯の中で浮かんでいた黄色いアヒルの姿。そういう、取るに足らない断片的な感覚こそが、私たちをこの場所へ再び連れ戻してくれるのだと思う。

窓の外で、ひとひらの雪がゆっくりと溶けて消えていくのを眺めていた。

  • お子様連れの方は、ぜひ「まんが横丁」へ。静かな時間の中で、親子で同じ物語を共有する贅沢なひとときを。
  • 露天風呂付きのお部屋を選んで。夜、飛騨川のせせらぎを聞きながら、家族だけの秘密の話を交わす時間が一番の贅沢です。